かつて、この因州の土地でも何軒か傘紙を作っていた。
当社の会長も若い頃、傘紙(かなり厚手の紙)を漉いたことがあると話に聞いた事がある。
 傘紙は鳥取の淀江と言う町で傘になり、西日本一帯で消費された。昭和26年頃がピークで洋傘が普及してからは過去の話になってしまった。これも一つの時代の流れなのかもしれない。



  さて、昔、雨具といえば菅笠と蓑であった。それまでの傘は貴族や僧侶などが権威を示す為の持ち物で、庶民が使うようになったのは、江戸時代、元禄の頃、産業や文化が発達し明るく活気のある時代だったといわれている。そして、傘は浮世絵の世界では格好の題材として取り上げられた。安藤広重の浮世絵「大橋あたりの夕立」を見ると傘をすぼめて走り急ぐ町人の生き生きとした姿や、いきなり降ってきた雨が傘に当たってパラパラとはじく音が今にも聞こえてきそうだ。

  和傘は開き加減が調節出来、風雨の強い時、都合のよい仕組みになっている。 又、洋傘と違い和紙を内側にしてたたみ込むので、すっきりとした一本の竹のようにも見える。和紙と竹で作られている傘、一本の竹を割る事から始まり骨組みし和紙を貼り、防水の為、植物の油を塗り、閉じて漆を塗る、その工程の一つ一つ持ち場をきちんと守っている職人の技には驚かされる。
  楮の和紙はその長い繊維が絡み合い繊維の隙間で光がさまざまな方向へと反射する。 又、和紙が植物の油を吸収する事により独特の透明度を増して言いようのない美しさが生まれ、それらは傘の内と外との光の明暗を作り2つの世界が現れる。
  日本人の美意識のなかでの『粋』という言葉は当然和傘にも当てはまると思う。 さらに、我々祖先の雨に対する感性が、和傘を生み出したといっても過言ではない。