資料館の見学にたまに外国の人がみえる事がある。 展示品を見て彼らが一番興味を持って質問してくるのがこの畳紙(たとうし)。
わかりやすく言えば裁縫箱、江戸の終わりのものと聞いている。
たたんである時に見るとなんともないが、いざ開いてみると不思議や不思議、物入れが沢山あり、またその下にも物入れが隠されている。どんどん開けて広がる空間の世界。最後に木版刷りの美人画がでてきた時、「神秘的!」「不思議!」「美しい!」と誰もが感嘆の声をあげる。そして、たたんで行くとただの裁縫箱となってまた驚く。
その反応を見るたび、日本人の遊び心に改めて気づかされ自分も日本人として感ずるところがあった。
さて、中の物入れは色々な折形でデザイン的にも工夫を凝らした作りようで、最後に型染めや木版摺りの彩り豊かな和紙が装いを凝らして畳紙となる。
中には糸や布の切れ端、厚紙で作った動物の型,金糸の紙縒りが大切に納められている。それらは何かの時に役立てるつもりだったに違いない。彼らは整理の才能はあるし手の器用さや想像力のたくましさも我々現代人にはおよびもつかないくらい豊かだ。畳紙を見ていると「日本人よ、もっと手を使いなさい。いろいろな情報を止めて一人じっくり考えなさい。」と語っているように思える。見るは3割、作るは7割ぐらいにするのが人間の心と身体を健全にし、社会を病的にしない道と考えた教育者もいるくらいだ。
そして江戸時代には戦がない。そのお陰で文化の華が百花繚乱と咲き、人々が生き生きと暮らした。そうは言っても庶民の生活はつつましく簡素で、最大限、物を有効利用して無駄にしないしたたかさを持っていた。物をリサイクルして最後には灰になるまで使う。灰だって染物に使うし肥料にもなる。
そういう人達だからこそ毎日使い交わる生活品の誠実さや、用に親切な物に囲まれて暮らす楽しさを自然と身に着けていたのかもしれない。
いずれにしてもこの畳紙は、始末の美しさを教えてくれる一品である。