人間が空を飛びたいと言う夢を持ってから実現するために、どれだけ気の遠くなる時間と労力が使われてきた事だろう。そして、たまたま凧はその中継ぎにあって夢を実現する手助けをしたのかもしれない。などと考えたりするのは秋の高く澄んだ空のせいなのか。
凧は紀元前200年頃中国で発明されたと言われている。西洋では、アルキメデスが学問の為に、又、アメリカのフランクリンが稲妻の放電現象を確かめる為に凧を使ったように、日常生活等の場で実際に役に立つ道具として扱われた。
では、日本は、どうだったのか。凧は子供の成長と将来の多幸を願う物として又、商売繁盛、大漁や豊作祈願、とそれぞれの年中行事と共に人々の暮らしの中にとけこんでいた。
遊びとしての凧はもっと後になってからのことらしい。
日本は世界でも凧の国といわれるほど種類が豊富で、例えば奴、武者絵、字、着物、扇、鳥、などさまざま、模様もいろいろある。すがたかたちに工夫を凝らし色鮮やかにその多様性を充分に表現している。名前も「イカ」「ハタ」と地方によって異なっていてそれも面白い。江戸時代には大人も子供も凧揚げを楽しみ、一時は大名の屋敷の上に揚がった凧が無礼だと幕府から禁止令が出されたほど、にぎやかだったという。その光景を思い浮かべてみると和やかでほのぼのとしたものを感じる。凧にとって一番いい時代だったかもしれない。多彩で郷土色豊かな凧は長い伝統をもって職人たちに支えられてきたが残念な事に時代と共に減少していってしまった。それは今の人間の暮らしぶりに正直に反映している気がして、日本の心の一つの火が消えたようで淋しい。
さて、写真左からヨーズ凧(山口) まなく凧(秋田) 奴凧(東京)袖凧(千葉)と日本で代表的な凧である。カッと目を開いているがどことなく間の抜けたとぼけたところが、可愛らしく人間味が妙に身近に感じられる。そして天高く揚がってもはっきり見えるほど大胆な構図になっていて形もなかなかいい。風の匂いと空の深さを教えてくれる凧はやはり永遠に大空の花である。