拓本とは、紙と墨を使ってモノの表面の文様や文字を浮かび上がらせる技法又はその物をいう。日本では鎌倉時代から始まり盛んになったが、中国のものが古く、唐の時代にはすでにあったといわれている。やはり何といっても中国の歴史の深さにはかなわない。主に記録をとる目的だった。拓は歴史の証言者でもある。
やがてそれは文字の書体を学ぶ書の方向へと変っていった。
さて、今回の作品は六朝時代のもの。中国泰山にある金剛経碑の拓で、拓の文字一つ一つを並び替えて軸に仕立てた。
仏教全盛のこの時代に、さまざまな書体が生まれた中のひとつに挙げられる。
『福果善根』は何らかの行為が根となって善が生まれ、やがて福をもたらすと言う意味で仏教の教えに深くかかわる言葉である。そしてそれが福果善根の文字を美しくする背景にもなる。
この拓にのびやかな自由さを感じてしまうのはなぜだろう。人が文字を書き、職人が石に刻む。その石碑の文字は自然の風雨にさらされ角が取れ柔らかくなる。それを紙に移す。それも紙や墨の質で異なる。その工程が拓を拓らしくさせる源である。文字に美しさを添える拓の働きがある。
肉筆の個の文字からの拘束から放たれ、自然の慈悲にめぐまれて出来た物である。文字が拓で伝わり、拓で文字がいきると考えたい。
大陸のおおらかさが作り出した拓。工芸的な美しさを持った書体は見る人の心を勇気づけ、力をもくれる。筆者もこの原稿を書きつつ軸を眺めながら少しずつでも徳をつんでいく生き方も悪くないなと素直に思った。