今年の夏は全国的にかつてない厳しい暑さだった。その暑さに耐えられず団扇を使ってみようと思い立ち棚から引っ張り出して扇いでみた。すると軽さといい、手に馴染む大きさといい、意外としっくりと合ってそれが心地よい風を作り出す。当たり前な事だがそれがとても新鮮に感じ、いい道具だと思った。
小さい頃、寝苦しい夜に薄暗い蚊帳の中で祖母が私達を寝かすのに団扇であおいでくれたのを想い出した。大振りな渋団扇でゆっくりと、手を休めず、風を送ってくれていた。それは子供心にもなんとも言えない幸福感で満ち足りていた。そんな懐かしい昔の思い出の中に団扇があった。
今回は団扇の中の『日の出団扇』を取り上げてみたい。
日の出団扇は戦時中に途絶えた物であったが松江の
(注1)金津ちかさんが古道具屋で見つけ再び、よみがえらせたものである。
紺と白の染付けは日の出を表わす、すっきりとしたデザイン。
かつて親方のお客に対して丁稚があおいで風を送ったもので形も大きく力強い、用に忠実な団扇である。
この団扇との偶然の出会いがちかさんの心の何かを動かしたのだろう。
彼女は誰にも相談することなく一人でこつこつと来る日も来る日も、とりつかれた様に作り続けた。竹を探し(一本の竹で一つの団扇しか出来ない)骨の厚みをそろえ柄に穴をあけ弓を通し縒り糸で組み、紺色に紙を染め、貼る。糊や乾燥にも心を配り、石州半紙で裏打ちし骨に張っても、縁が反ったりして挫折の連続であったらしい。それでも工夫に工夫を重ねなんと完成品を作り上げるのに三年の月日が流れたという。手は男の手のように節くれだって痛々しく見えたが、それでも、屈しなかったのは物を作り出す喜びがあったからと息子の
(注2)金津滋さんから聞いた事がある。ちかさんはその後、手まり、刺し子の風呂敷などの暮らしを彩るものを心から楽しんで生涯作りつづけた。その団扇を当館も所蔵しているが、今でも堂々とした風格と威厳は残しつつ使われる事によって、なお美しさは育てられる事を私たちに語ってくれる。
(注1)金津ちかさん=NHKのTV美の壺「風呂敷」で刺し子の名人として作品が紹介された
(注2)金津滋さん=松江出身・茶人・目利き・工芸家(当社の便箋表紙のデザインにも携わる)